のほほんのブログ

映画と君と

家に居場所がなかった私の話

最近ツイッターで、始業式前後の中高生の自殺の増加に関するツイートをよく見かける。
それらを見て、私も書いてみようと思った。
今の私なら、家に居場所がなかった頃の話をできるような気がした。嵐は去ったのだ。

今私は、母方の祖母の家で暮らしている。去年までは母と弟達も一緒に暮らしていたが、今年弟達の進学を機に実家へと戻った。
父と離れて暮らすようになったのは、中3の夏からだった。それから今まで、私は1度も父に会っていない。今後も会う気はない。

私の父は、優秀な人だった。大学も難関大学を卒業。いつも本を読んでいて、屋根裏部屋には父が読み終えた本が山のようにあった。そして厳しい人で、いわゆる亭主関白であったと思う。
幼い私には、威厳ある父親に見えた。父を尊敬し、たくさんの本を読んだ。父と話をしたくて映画も観た。洋楽も聴いた。

私の両親は、1年に1回位の頻度で、夫婦喧嘩をしていた。それが多いのかはわからない。その度に、母と一緒に祖母の家に行っていた。もはや慣れっ子だった。喧嘩の原因をきちんと聞かされたことはなかった。

それでも成長するにつれて、色々なことがわかるようになった。見えるようになった。
父が私が生まれる前から浮気・不倫を繰り返していたこと。
朝父を起こさなかったからと母のお腹を殴ったこと。
母が作った夕食が気に入らないからとテーブルをひっくり返してめちゃめちゃにしたこと。

最後の喧嘩の原因は、何度目かの不倫だった。母方の祖母も、父方の祖父も家に来て、話し合いをしていた。母が棚に隠していた、父と不倫相手とのプリクラも見た。

毎晩怒鳴り声で目が覚めた。それでも私は、怖くて、知らないふりをしていた。父が暴れだすまでは。

父はエスカレートしていき、母に暴力を振るうようになった。怒鳴り声に加え、ドスンドスンという、父が暴れる音が聞こえるようになった。
そして母が、初めて、子どもの私に助けを求めた。
「次何かあったら、警察よんで」
何も起きなければいいと思った。
それでも次の日の夜、いつものように父は暴れだした。母は私の名前を叫んで、私は両親の寝室にかけて行った。そこでは全裸の父が暴れていた。このとき生まれて初めて、足がすくむという言葉の意味を知った。私はすぐに階段を下りて、受話器をとった。警察に電話するつもりが、頭が真っ白で自宅の番号を押していた。

警察が家に着いたとき、父はもう眠っていた。現行犯でないと、警察は何もできないという。何も、変わらなかった。変わったのは、私が、家族を、警察に通報したということだけだった。

その後も、父は毎晩暴れ続けた。私も髪を引っ張られたり、暴言を吐かれたりした。酒を飲んだ父は、次の日何もおぼえていなかった。

私達には、避難する場所があった。
母も懸命に守ってくれた。
きっともっと厳しい環境にいる人もいるだろう。

家に居場所がない人達は、避難する場所を確保することが難しい。
よそのお家のことだからと、踏み込んで助けに来てくれる人もいない。

近所付き合いをしましょう。それは面倒なことかもしれない。でも何かあってからでは遅いから。自分が助ける側になるのか、助けられる側になるのかはわからないから。

そして渦中にいる子ども達へ。
親に絶望しても、大人に、人間に絶望しないでほしい。無力な自分にも絶望しないでほしい。
ここで人とつながることをやめてしまったら、出会えるはずの素敵な人とも、出会えなくなってしまうから。この世界には、あなたと合う人が必ずいます。あなたが心から愛せる、あなたを心から愛してくれる人が必ず。SNSでもいい。人とつながることを、やめないで。